鍵のかかってない部屋

読書とかゲームとか映画とか

【読書】『夢で会いましょう』 村上春樹+糸井重里

 共作ではあるが村上春樹の初期短篇およびエッセイ風小品が納められたショートショート集。

 単行本1981年 冬樹社 文庫1986年 講談社

強烈な個性と個性がぶつかりあう時、どんな火花が飛び散るか――それがこの本の狙いです。同時代を代表する2人が、カタカナ文字の外来語をテーマにショートショートを競作すると、こんな素敵な世界があらわれました。さあ、2種類の原酒が溶けあってできた微妙なカクテルの酔い心地をじっくりとどうぞ。

──講談社文庫 内容紹介

 この本は単行本と文庫本とで、特に村上春樹の作品に数編の入れ替えがあり、単行本は絶版であるため読むことの出来ないものもある。

 単行本の方も確認して、内容的に差し替えも致し方ないと思えるものもあるし(主に著作権関連)、差し替えられた理由が分からないものもある。読み逃すとファンとして致命的というのは見当たらないが、『ピンボール』は当時『1973年のピンボール』を書き終えた頃(ちょうど『羊をめぐる冒険』との中間の時期)で、そうしたつながりを感じることはできる。これは個人情報的な部分でアウトだったのかな。

 差し替えていなくても内容が大幅に書き換えられているものもあって、『ラヴレター』なんかはきっと描いた後で少し恥ずかしくなったんじゃないのかなと想像してしまう。

 今につながる「作家・村上春樹」として重要なのはやはり『パン』や『ドーナツ』あるいは『フィリップ・マーロウ』あたりだろうか。ここでは主に『パン』を取り上げてみる。

欲望の対価と空虚な理想

『パン』は後に『パン屋再襲撃』(現在文春文庫所収)へと変奏される作品で、元は早稲田文学(1981年10月号)に発表された。

 夜に腹を空かせた男二人がパン屋を「襲撃」し、そこの店主から呪われる代わりにワグナーを聴き、その対価としてパンをもらうという、書いているだけでもうよくわからない話。けれどこのシュル・レアリスティックな話の展開にモチーフとしての音楽と、今から見ればこれぞ村上節といった感があり、読後の何とも言えないすとんと落ちた感じ(「…我々の中の虚無はもうすっかり消え去っていた」と終わる)は初期短篇にあるある種の希望的観測があって心地良い感触に浸ることができる。

 ちなみに『パン屋再襲撃』をこの短篇の直接の続編と捉えるならこの物語はすとんと落ちてはおらず、この主人公(僕)には結局「呪い」が残ってしまい、それを解消するために再びパン屋(マクドナルド)を、今度は妻と共に襲撃する、という流れが現れる。

 この「呪い」って何なんだろうと考えると、『パン』に出てくる「共産党員」、『再襲撃』の襲撃先となる「マクドナルド」をヒントとして、現代(戦後?)の大量消費社会が浮かび上がる。

 何故空腹は生じるか? もちろんそれは食料品の欠如から来る。何故食料品は欠如するのか? しかるべき等価交換物がないからである。それではなぜ我々が等価交換物を持ち合わせていないのか? おそらく我々に想像力が不足しているからである。

──『パン』

 しかるべき等価交換物がない。今はより状況がひどく複雑になっている、経済の実態とかけ離れて数字だけが大きくなっていく投資をめぐる状況を連想する。経済を学んでいる人にとってはそこに妥当な理屈があるのかもしれないが(しかし反論の余地のない説明を見たことはない)。

 あふれ出る欲望に対して、それに見合うだけの実質的な価値を得ることも与えることも、我々は本当にできているのか? 欲望と価値との間にあるその限りない差異を埋めているのは実体のない空虚な期待にすぎないのではないか。

 パンの対価としてワグナーを聴く。それは小説的にすごく綺麗な情景であるし、『パン』を書いた時点ではそれはきっと作者にとって極めて妥当な交換だったのだと思う。けれど『再襲撃』において、僕は妻の言葉に流されるように、パン(ハンバーガー)を「強奪」する。ただし、きちんと強奪した分のお金を払って(もう強奪じゃないな)。

 村上春樹は学生時代に政治運動への失望を経験してきたこともあって、パンの対価としてワグナーを聴くという楽天的理想が、きちんとお金を払うという社会の現実に落ち着いていく過程を見ているようでもある。村上は思想的にはリベラルと言われているけれど、いわゆる左翼的理想論を述べることは知る限り無い。。むしろ左翼運動への失望から、一人の個人として地に足を着けて生きていくことを大事にしているように、特に数多いエッセイからは窺える。

初期作品に現れる作家の本質

 この『パン』、そして『パン屋再襲撃』へと繋がる流れには、村上春樹の作家としての出発点としての資質と、時代を生きていく過程で自分の生き方の変化とその確信のようなものが読み取れる。

 作家の初期作品には、実質的に作家を形作る本質のようなものが現れるとも言うが(誰が言っていたんだか)、しばらくぶりに村上作品を読み返してみてその言葉の正しさを実感する。

 これから『羊をめぐる冒険』に十年ぶりくらいに取り掛かろうとしているところなのだが、それだけの時間を経て自分がどれだけ今につながる作家の本質を読み解き、それを今の自分につなげることができるのか、楽しみでならない。本当に優れた作家だからこそ、今も昔もなく心に届き、そして鏡のように今の自分を映し出して問いを投げかけてくるような作品を書けるのだなと、その凄さを改めて実感する次第。

夢で会いましょう (講談社文庫)

夢で会いましょう (講談社文庫)

新装版 パン屋再襲撃 (文春文庫)

新装版 パン屋再襲撃 (文春文庫)