【読書】 夏物語 川上未映子
川上未映子『夏物語』(2019年文藝春秋、2021文春文庫)。
久々に良い現代小説を読んだ。
大阪の下町で生まれ小説家を目指し上京した夏子。38歳の頃、自分の子どもに会いたいと思い始める。子どもを産むこと、持つことへの周囲の様々な声。そんな中、精子提供で生まれ、本当の父を探す逢沢と出会い心を寄せていく。生命の意味をめぐる真摯な問いを切ない詩情と泣き笑いの筆致で描く、全世界が認める至高の物語。
Outline
しばらく小説を読む機会がなかったところに、評判を聞いて手に取った。とても大柄で素晴らしい作品で、感動を超えて衝撃さえ受けた。
ほんの一瞬だけ語られるだけの人物たちにも”肉”が通っていて、それぞれが固有の印象を残しているのに加えて、繊細な「町」の描写に惹きつけられた。特に終盤じっくり綴られる大阪の街の風景は、その場に居合わせているかのように鮮明な映像が浮かび上がってきた。
丹念に構築された小説世界の中でそれぞれの生活を送る登場人物たちはとても魅力的。主人公・夏子は女性としての生き方や子を持つ(望む)こと、作家として成長することなど悩みや葛藤を抱えており、それでもどうにか生きていく姿は時に歪で息苦しく、また健気に映る。丁寧に背景を描写された一人一人の人生が絡み合い、やがて大きな「夏の物語」となっていく様は美しく、何度も息を呑まされた。
文章も良い。作中で言及されているように、大阪の言葉を中心とした「耳に響く言葉」に注意が払われていて、道端でのおしゃべりのように脱線を恐れることなく滑らかにつながっていく(それでいていつの間にか目的を達成している)”声”が響く文章は、文学として一つの到達にも思える。
笑い/ユーモアのある生きた人物像というのが良い小説の必須要素だと思っているけれど、この作品にはそれらが間違いなく存在していた。
Note
印象に残った部分をいくつか。
p.76「わたしの体は、わたしがなんとなく想像していた女の体にはならなかった。」
→「理想的な女性の体」とは「男性によって欲望される体」だと夏子は思う。自身や自身が従う”イメージ”は、自分と関係ないところでいつの間にか作られているものだ。人生と世界との「関係のなさ」は全体に通底している。
→この銭湯の場面には「おなべ」(生物学的には女性、自認は男性)になった昔の同級生が出てきて非常に印象的。彼らを見る時「こちら」が感じる居心地の悪さもまた、誰かに作られ植え付けられた感覚なのだろうか。
p.156「生まれるまえからわたしのなかにも、人を生むもとがあるということ。」
→夏子には姉・巻子がおり、その娘の緑子が書いた日記が序盤の章に何度か差し挟まれる。女性は母の胎内にいる時すでに「卵子のもとみたいなもの」を宿していると彼女は聞いたらしい。そう「設計」されている女性の体。上記の「女体」に関しても同様に、生物の世界は「それ自身とは関係ない(と思っている)」ものに規定されている。
→10代の緑子が抱えるものが、30代の夏子にとっても切実な問題として現れていく。そんな人物同士の対照性、縮小・拡大照射性(言っててよく分からないけど)も小説の読みどころ。
p.529「もう誰も、起こすべきじゃない」
Reference
作中で言及されていたサルトル『水入らず』、深沢七郎『笛吹川』、特に後者は読んでみたい。音楽ではビーチボーイズ『素敵じゃないか(Wouldn't It Be Nice)』。美術ではフェリックス・ヴァロットン『ドール』。
他、逢沢潤が話すNASAの宇宙探査機「ボイジャー(Voyager)」の話から、村上の『スプートニクの恋人』を思い出した。うろ覚えなので両者がどれくらい類似・関係しているのかは分からないけれど(そう言えばどちらの作品にも「観覧車」の場面がある)。