【映画】『アメリカの友人』 ヴィム・ヴェンダース
『アメリカの友人』
1977年 西ドイツ/フランス/
監督:ヴィム・ヴェンダース
パトリシア・ハイスミス原作のリプリーシリーズの一つ。『太陽がいっぱい』以降作品が映画化され続け最近はドラマシリーズにもなるという相変わらずの人気らしい。
このシリーズは不思議というのか毎回監督が異なって主役のリプリーも配役を変えている(だから一連の映画がシリーズというわけではない)。
今回は監督に名匠ヴィム・ヴェンダース、主演もデニス・ホッパーに、ドイツ人俳優と言えば(自分の中では)この人総統閣下ブルーノ・ガンツがデビュー間もない頃に出演している。
ヴィム・ヴェンダース、31歳の時に撮った長編第7作。白血病で死の不安に生きているハンブルグの額縁職人ヨナタン。彼を殺人にはめ込み、完全犯罪を進めながら危険な友情にはまりこんでいくトム・リプレー。死んだ筈の画家の贋作を書いているポガッシュ。物語は、サスペンスに富む発端の画の競売シーンから、この3人の絡んだストーリーを小気味よいテンポで進めていく。
恥ずかしながらリプリーシリーズの映画は見逃していて、原作も読んだことが無い。そのため映画内で描かれるリプリーの人となりが観客にとって了解されたものなのかわからないが、一種異様な(一面を持っている)人間であることは分かる。
詐欺師リプリー 赤
冒頭、贋作画家が「孤独な旅を続けてきた」とくちずさむシーンから物語は始まる。画家はすでに死んだことになっていて、自分の贋作を作り、それをトム・リプリーがオークションで売るという互助関係になっている様子。
タイトルが出てからリプリーが自室──真っ赤な部屋で声を録音しているシーン。「恐れるべきはその恐れそのものだ」(Nothing to fear but fear itself かな)。続けて「自分が誰か、他人が誰かわからない」とつぶやく。
一瞬今回の主要人物であるヨナタンの姿を映した後、再びリプリーの部屋、カーテンを開けてバルコニーへ出て、家の前に広がる川を眺め開放的な気分に浸る。
この映画にはいくつか象徴的な使い方をされている色があって、リプリーの部屋を彩る「赤」もその一つ。とても彩度強めに映し出されているが、決して原色的、カートゥーン的な刺激ではなく、強い色の裏に隠れる闇を表に出すような映し方をする。
この赤い部屋はリプリーという人物が抱える複雑な心の全体像を、おぼろげに画面に映し出す。詐欺師として生きる孤独、「悪人」ではあるがそれと矛盾せずに内に持つある種の「善意」など、一人の人間が自分自身のことさえ正確には把握できないという苦しみがこの闇の深い赤を通して伝わってくるよう。
殺人の依頼とヨナタン 青
ヨナタンは不治の病を患っており、妻と幼い子供がいる。そこにリプリーの知り合いの男(マフィア?)ミノがつけこみ、リプリーの仲介によりミノの敵対勢力?の男を殺すよう依頼。ヨナタンは自身の余命を知り、引き受けることになる。
電車の中でミノとヨナタンが話すシーンが良い。ドアの開閉と出入りする人々の流れが話をリアリスティックにし、かつ緊張感を出している。
また余命に疑いを持ったヨナタンが主治医のもとに行くシーンでは、「青」が効果的に使われており、彼が死に向かう予感を表現しているように見える。そういえばヨナタンがリプリーの贋作を見破ったのも、絵の中の「青」に違和感を持ったからだった。
話は進んでヨナタンは殺人依頼を引き受けることにし、地下鉄で一人、さらに続けて列車で二人殺すことになる。後者にはリプリーも手助けして加わるが、殺人シーンのドタバタ感は抑制のきいた作品の中では非常に動きがあって、コミカルにさえ思える。素人であるヨナタンが行うこの犯罪行為には、しかし避けられない死を待ち、守るべき家族を持つ男の悲哀がある。髪の乱れたリプリーにくすりとする。
一件目の殺人を終えたあと現場から逃げたヨナタン(監視カメラにばっちり映っている)が地上に出ると笑いをこらえきれず、その後ガムを口に含むシーンがなんでか印象的。作品がメロドラマ的にならないのはこういう間を挟んでいるからかな。
物語と命の終わり
終盤、一連の事件の余波としてマフィアから狙われるヨナタンとリプリーだが、協力して切り抜ける。このシーンもやはり流れがどこかぎこちなくて可笑しみがある。マフィアと一緒にいた女が仲間?を殺されても叫び声立てるわけでもなくさっさとその場から消える場面など、コントのようでもある。
途中でヨナタンの妻マリアンネがやって来て(赤い車に赤いコートだ)、結局彼女も加担することになり、海辺でマフィアの使っていた救急車を爆破。やり終えたところでヨナタンはリプリーを置き去りにして(悪意というより悪戯っぽい雰囲気)、妻と共に車を走らせる。そしてヨナタンは最後の灯火を照らすように疾走した後で意識を失い、そのまま息を引き取るのだった。
赤い車に赤(と白)のマフラーという姿は、死を連想させる青とは対照的の絵面だ。おそらく真面目一辺倒で生きてきたヨナタンが死の間際に経験した様々な出来事により、リプリー的な複雑さに足を引っかけたのかな、と想像する。静かな青から動的な赤へ。ヨナタンは死の運命と降りかかる災難に苦しむ一方で、(演出のコミカルさのせいなのかどうか)一連の出来事を愉しんでいるようにも見えた。
最後のリプリーのセリフ(「哀れなよそ者が気の毒だ」)やラストに贋作絵師が映った意図などまだ理解の及ばない部分も多いが、俳優の魅力、色遣いのこだわりや締まりと緩みの配分の巧さなど飽きずに見ることができた。
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