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【ゲーム】デス・ストランディング【Death Stranding】

 2016年の発表以来ディレクターである小島秀夫個人の背景とか、ただひたすら歩き続けるだけの謎のPVとかで様々話題になってきたゲーム、『デス・ストランディング(Death Stranding)』が(昨年の)11月8日に発売。

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この時を待っていた……!

 色々と忙しくて最近ようやくクリアしたばかりなので、ストーリーの理解などまだまとまっていないが、端的に言って素晴らしい作品だった。

荷物運びに全てを賭ける

 荷物を運ぶ。それがこのゲームの全てである。

 主人公サム・“ポーター”・ブリッジズ配達人として、デスストランディング(DS)と呼ばれる大災害よって分断されたアメリカ各地に荷物を運んでいる。

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サムは各地の配送センターや独立した個人の元に荷物を届ける

 ゲーム冒頭でサムはバイクに乗っているが、事故で大破。そこから配送センターまで徒歩で行くことになる。

 サムは主に背中に荷物を背負い、それをなるべく傷つけないようにして依頼者へと届けることを求められる。人間なので当然持てる荷物には限界があるが、それでもほとんど冗談みたいな量の箱を背に積むだけでなく手足肩にも荷物を付け、血液袋を多数抱えながら背中に手榴弾を積む。そこにさらにライフル銃やらミサイルランチャーが加わるのだから、特に中盤以降サムはもはや歩く(配達する)人間兵器と化す。

 災害のせいもあり、また基本的にサムが歩くのは山の裾野地帯なので*1地面の状態は悪く、石につまずいて倒れそうになることが多々ある。そのため常に足元に注意して体が左右に傾くのを抑えなければならない。急斜面は滑り易く、川中を行くときは水没に注意しなければならず、雪山は当然歩きにくい。雨や雪に降られても、行く手を異常者やテロリスト、亡霊(BT)に遮られようとも配達を止めるわけにはいかない。

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荷物を守りつつミュールと戦う世紀末。ただし殺しをしてはいけない。

 そうした様々な障害を乗り越えるために、サムは上記の荷物と護身武器に加え、梯子ロープ建設装置などを使う。

 そして苦難を乗り越えた先、首を長くして待つ人々の元へ荷物を届けるのだ。

 それだけ。本当に、それだけなのだ

何が面白い?

 ネット上の感想に散見されるのが、このゲームの「伝えにくさ」。確かに面白いのだが、それがどう面白いのか具体的に上手く説明する言葉が見つからない、というもの。

 実際それは正しくて、この配達という作業を自分でやってみて、目的地到達までの困難や面倒、それを乗り越えて達成した時の肩の荷が下りたようなため息のような疲労感と、同時に起こる何とも言えない安堵感は本当、やってみなければ分からない。

 まあそう言ってしまっては身も蓋もないので、このゲームを面白くしているゲーム的要素についていくつか考えてみよう。

配達前に準備をする

 まず上に挙げた配達における基本的な障害、地形の妙。

 ゲーム序盤はチュートリアル的に崖下り、川渡りをし、つまずき易い石の多い平地を通っていくことになる。目的地が見えてきてから平野を喜び勇んで駆け抜ける時の爽快感は、流れ出すBGM(これが素晴らしい)もあって胸をすくものがある。

 ゲームデザインはさすがよく考えられていて、新たなエリアに行けるようになるたびに、少しずつ難度が上がっていく。それは足元が不安定であったり傾斜があったりと純粋に地形の難しさもあるが、同時に道が複雑に分かれることによって、プレイヤーの側に選択の余地が生じることに一因がある。

 現在位置から直線的に歩くことによって無理やり踏破することも不可能ではないのだが、基本的には地図を確認し、歩き易そうな道を事前に選んでいくことになる。大体序盤、ポートノット・シティ[K3]に向かうあたりから事前のブリーフィングが重要になってくる(初期はそれをを疎かにしていたので、えらく苦労した記憶がある)。

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地図を見てルートを決める。慣れるまで少し見にくい。

 しっかりと地図を読み、なるべく平坦な道や、先が開けている道を探してルートを構築していく。初期に扱える配達用ツールは主に梯子とロープで、大抵はこの二つでどうにかなる

 出発前に配達ツールを選ぶ作業はなかなか楽しい。もちろん慣れていくにつれて大体の要領は分かってきてツールも固定されていくのだが(わりとゴリ押しでもいける)、実際に配達をするにあたって自分の予想がぴたり当たった時の「してやった感」は気持ちが良い。

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各部位に荷物を積んでいく。梯子を横のツールハンガーに掛けるのが好き。

 時には頭のおかしい量の配送荷物を託されることもあり、自分に持てる可能な重量とツール(や護身武器)との兼ね合いを考える必要がある。細かく戦略を練ることで、自分で楽しみを拡張していくのだ。

配達を助ける超技術と「つながり」

 時代設定が近未来ということもあり、様々な先進的技術がサムの配達をサポートしてくれる。

 たとえば建設装置を使うことでを建てて川を自在に渡れたり、ポストを建てて増えすぎた荷物を道中で管理できたりする。

 これはいわゆる3Dプリンターカイラルプリンター)の要領で、装置を使うとその場で20秒ほどで建築物が建つのだ。科学技術って凄い。

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発電機を建てる。配達先とかにあるとありがたい建築の一つ。

 他にも主に乗物のエネルギーを充電できる発電機やら荷物や装備を腐食させる時雨(ときう)から雨宿りできる時雨シェルター、そして移動手段としては最高といえるジップラインなど未来の超技術がプレイヤーを助けてくれる。

 もちろんそれらをどこにどう建てるのかはプレイヤーの判断に任され、これがまた非常に試行錯誤の余地があり、この作品のゲーム性を高めている。設置できるのは基本的にカイラル通信がつながっている場所(平たく言うと「電波の届く範囲」)に限られるが、何度も行き来する場所を丁寧に整備しておけばそれだけゲームを効率化していくし、ゲームを進めれば設置できる範囲がどんどん広がっていく。

 そしてネットワーク周りの話になるが、自分の建てた建築物がオンラインで他プレイヤーに反映される。これにより自分の建築が相手の役に立つこともあれば逆に自分が助けられることも多々ある。

 このオンライ要素はストーリーとも密接に結びついており、このゲームのテーマの一つでもある『棒となわ』なわの部分を象徴している。

 対人用の武器(棒)にもなるストランドは、一方で人々を結びつけるロープ(なわ=つながり)でもある。現実世界のたとえばSNSなどでは過剰なつながりゆえの弊害が起こっているが、このゲームにおいては他人の邪魔をしようとしても意味はなく(ほぼ邪魔ができない)、何かすればするだけ人の助けになる、というSNSの正の面をフィーチャーしている。

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他プレイヤーが建ててくれた『セーフハウス』。時々生死を分けたりもする。

 ストーリーに関してはまだあまり咀嚼できていないのだが、このオンライシステムは、「誰かを助けること」と「誰かに助けられること」が人の営みにおいて不可欠のものであるというゲームのメッセージの一端を示している。

 こうした手助けはゲーム上で「いいね」として数値化され、それは経験値となってサムの強化につながる。徹頭徹尾人助けが報われる優しい世界になっているのだ。*2

 オンラインとはいえ密なつながりを持つ必要は無く、互いに不要ならぱっと消すこともできるので、気軽に建てて構わないのも良い。

マンネリの箱庭

 容易に想像がつくだろうが、高い確率でこのゲームはマンネリに陥る。条件の違いはあれどやっていることは荷物運びで変わらないのだから当たり前だ。

 だがそんな大局的なマンネリも、局所的にはそれぞれ違いがあるのは確かで、そこにこそプレイヤーごとの試行錯誤が活きてくる。地形の違いを把握してからの移動ルートの選択に加えて、配達ツールの設置(+他プレイヤーの手助け)というほぼ無限の選択肢がゲームの自由度を高め、クリア後のインフラ整備にも中毒的な楽しさがある。

 そこには自由度の高さを売りにするオープンワールドゲームにありがちな、「何をやっていいか分からない」という途方に暮れる感覚はない。あくまでもやれることが決まっている中で、最大限の工夫を凝らすことのできる箱庭的自由がある。*3

 荷物を届け、届けた先でまた荷物を請け負い、自分で整備した道路を行き来する。そんな繰り返しがいつしかごく自然な行動となっていく。それは退屈である一方、途切れない目的を持ち続ける不思議な安心感へとつながる。この世界には自分を必要としている人たちがいて、配達やインフラ整備を通してゲームでも現実でも自分は誰かの役に立っているのだという、どこか誇らしげなむずがゆさを抱き続けることができる。

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一仕事終えたら拠点で休む。そしてまた次の仕事が待っているのだ。

 ディレクターの小島秀夫は元映画監督志望だったらしいが、こと自分でプレイするというゲーム独自の体験が無ければ、この感覚を人に味わわせることはできなかっただろう。

ゲームに新たな視点を与えた傑作

 グラフィックの凄さやリアル志向の動きなど一見洋ゲーっぽい(区別が乱暴であることは認める)デスストだが、実際には非常に和ゲーらしいというか、限られたリソースをどう使うかを考え、そして取捨選択を上手く行った職人気質のゲームに思える。それは小島秀夫がそれはもう典型的な「クリエイター」だということからも想像がつく。

 オンラインの使い方といい「ゲームと映画(ストーリー)の融合」といい、これまでのゲーム、あるいはエンターテインメントを取り込みつつ、さらに新しい視点を与えるであろう画期的な作品。ゲームでも常に新しい体験を求めている人であるならばやって損はないし、やって欲しいと思う傑作だった。

 ゲームには戦闘要素もあるが、長くなったのでまた(書くかなぁ)。

【PS4】DEATH STRANDING

【PS4】DEATH STRANDING

*1:フィールドはアイスランドがモデルという説がある。

*2:「いいね」中毒になりがちなところは皮肉が効いていると言ってよいのかどうか。

*3:正確には多くのオープンワールドゲームもやれることは決まっているのだが、デス・ストランディングのいいところは「とっ散らかっていない」ところだと思う。そこらじゅうに何かしらのクエストが用意されている超大作に比べればゲームとしてのスケールは小さいのだが、目的を絞っている分「自分が何を楽しみ、何をやろうとしているのか」が把握しやすいのだ。