【読書】聖書を読む・旧約聖書続編
引き続き聖書を読んでいる。今回は旧約聖書続編(新共同訳による)。
旧約聖書続編について
テキストは前回から同じ『新共同訳聖書 旧約続編つき』。このタイトルにもある様に、旧約聖書には本編(正典)とは別に外典(または偽典)と呼ばれる文書がある。
- 作者:共同訳聖書実行委員会,日本聖書協会
- 発売日: 1996/01/01
- メディア: Vinyl Bound
旧約聖書はヘブライ語(ヘブル語)を主にして記されたが、現存する最も古い聖書のテクスト(シナイ写本、4世紀)はギリシア語で書かれている。
聖書は紀元前2世紀以降、アレクサンドリアを中心にギリシア語への翻訳事業が行われた。特に有名な『七十人訳聖書』(LXX)があるが、これはプトレマイオス朝エジプトの王、プトレマイオス三世(即位前282-246)の命を受けたユダヤ教の大司祭エレアザルが、72人の学者を選んでアレクサンドリアに派遣し、72日間で翻訳を完成したものだという*1。あくまで伝説ではあるが。
初期キリスト教はギリシア語訳聖書を正典として扱ってきたが、そこには元のヘブライ語聖書には含まれていない文書が存在していた。外典(または偽典)と呼ばれる文書は、カトリック、プロテスタントなどキリスト教諸派で扱いが異なり、例えばプロテスタントはヘブライ語聖書のみを旧約の正典としており、外典文書を認めていない。
新共同訳聖書には旧約、新約聖書本編とは別に13の外典文書が収められている。
この続編を読む意義は、旧約聖書と新約聖書の間の空白を埋めることにある。旧約聖書で最も新しい文書は『ダニエル書』(紀元前2世紀頃)であり、新約聖書で最も古いものは『テサロニケの信徒への手紙』(紀元後1世紀中頃)だ。つまりそこにはおよそ二百年の隔たりがある*2。
二百年の間には当然様々な出来事があり、例えば前2世紀半ばにはユダヤ民族のセレウコス朝シリアへの反乱・独立運動である、マカバイ戦争(前167-160)が起こっている。外典文書では特に『マカバイ記一、二』において描かれている。
そして様々な知恵の書や祈りの文書は、ペルシア支配下~ヘレニズム時代における、ギリシア文化の影響を受けつつも律法の伝統を残そうとする当時のユダヤ人の信仰状況を垣間見させる、まさに「外伝」的な文章の数々である。
『ユディト記』
『新共同訳』の旧約続編で最初に並ぶのが『トビト記』『ユディト記』『エステル記』の三編で、うち後二つはともに女性が主人公の作品。そこにはそれぞれシリア支配、反ユダヤ主義へ抵抗する姿勢が描かれている。今回は『ユディト記』を取り上げる。
『ユディト記』の舞台は前600年頃。報復のためイスラエルを攻めたアッシリアの将軍を、策を以って殺害したユダヤ人女性ユディトの活躍が描かれる。
文書が記されたのは前160年頃とされ、当時イスラエルを攻撃したシリアの「暴君」アンティオコス四世・エピファネス(在位前175-163)に対する「抵抗の精神を称揚」しているという*3。
主人公ユディトは特にクラーナハの絵画で有名だろう。他にもカラヴァッジオやティントレットといった多くの有名画家が画題に選んでいるように、彼女の物語はインスピレーションを刺激するものがある。また昨今のフェミニズムの潮流の中で名前を聞く機会も増えた(気がする)。
ネブカドネザル王はアッシリアの対エクバタナ戦争に協力をしなかった周辺諸国に報復を決める。王は軍総司令官ホロフェルネスに命じ諸国を焼き払い、屈伏させていく。イスラエルは徹底抗戦を決めるが、相手は多勢であり状況は絶望的。
しかしホロフェルネスの軍が迫る中、ユダヤ人の寡婦ユディトが名乗り出る。
わたしの申し上げることをお聞きください。わたしはあることを実行します。…敵に町を明け渡すとあなたがたが約束したその日までに、主はわたしを用いて、イスラエルを顧みてくださるはずです。
─『ユディト記』8章32-33節
人々にも仔細を隠し、ユディトは侍女と共に敵の陣営に赴く。そしてユダヤについて「虚実の弁論」をして信用を得、またその美しさで敵将を籠絡、油断させる。四日目、ユディトはホロフェルネスの酒宴へ招かれる。もちろん彼女を抱こうとする下心からだが、ホロフェルネスは魅力的な彼女を前に酒を呷り過ぎ、眠ってしまう。そして天幕の中で二人だけになると、ユディトは行動に移る。
彼女はホロフェルネスの枕元の、寝台の支柱に歩み寄り、そこにあった彼の短剣を抜き取った。そして寝台に近づくと彼の髪をつかみ……力いっぱい、二度、首に切りつけた。
─同13章6-8節
その後ユディトはホロフェルネスの首を持って侍女と共に陣営を脱出する。翌日首は街の城壁に掲げられ、指揮官の死を知ったアッシリア軍は浮足立ち、イスラエル軍の追撃を受けて潰走する。勝利の立役者となったユディトは讃えられ、その後は祝福された生涯を送った。
これは当時シリアの迫害に苦しむ人々に向けた物語であり、言うなれば非常に都合の良い話である。しかし比較的短い分量の中で物語の背景と状況説明、迫る危機とそこからの逆転劇が無駄なく描かれており、「短編小説」としてなかなか出来が良い。
アルテミジア・ジェンティレスキの『ユディト』
旧約続編の入門として手に取った秦剛平『絵解きでわかる聖書の世界 旧約外典偽典を読む』には、外典に関わる絵画を描いた人物として、繰り返し17世紀イタリアの女性画家、アルテミジア・ジェンティレスキ(1593-1642)が紹介されている。
ジェンティレスキは当時男性社会であった絵画の世界で、女性であるというだけで不当な扱いを受け、さらに性的醜聞を書きたてられる屈辱を味わった。
彼女は『ユディト記』に関する作品をいくつか描いており、うち三作は『ホロフェルネスの首を取るユディト』である。
クラーナハと比べると(時代やスタイルが違うとはいえ)素人目にも鬼気迫る作品で、男性社会への糾弾の思いが表れているかのように見える(実際のところは不明で、参考書でも断言は避けている*4)。中央のホロフェルネスに投じられる二人の女性の視線と絡み合う腕が強烈な三角形を画面上に作り上げ、見る者を惹きつける。
続く『エステル記』も女性が活躍し、ユダヤ民族が救われる物語となっている。どちらもユダヤ民族の存亡がかかった事態を描いており、ユダヤの民にとって「民族的規模の災禍」がいかに切実な主題であったかが想像される。参考書ではこのようなユダヤが災難を逃れる物語を「護民文学」と呼んでいる*5。かつての災難を記憶に留め、今目の前にある危機の回避を願うように書かれたのかもしれない。
『マカバイ記』
『ダニエル書補遺』や『知恵の書』などの小品も面白いが、やはり外典の中で目を惹くのは『マカバイ記一・二』だろう。
『マカバイ記』は前2世紀中頃、セレウコス朝シリアの圧政に反旗を翻し、短期間ながら再び国家としての独立を導いたマカバイ家の指導者の活躍が描かれる。
ペルシアがアレクサンドロス大王に滅ぼされた後、マケドニア帝国はすぐに分裂し、後継者(ディアドコイ)戦争の後四つの王国が興る。その中で特にプトレマイオス朝とセレウコス朝の支配の狭間にユダヤ人は置かれることになる。
二つの王国の間には争いが絶えなかったが、しばらくの間その影響はユダヤ人たちにほとんど及ばなかった。異民族に寛容だったペルシア支配の時代から、ユダヤ人は「自分たちの神殿礼拝と律法遵守を中心とした宗教生活が保障される限り、反抗らしい反抗を試みなかった*6」。当初のプトレマイオス朝エジプト支配下においても、重税は課せられたものの自治は認められ、宗教に関しても自由であった。前述の『七十人訳聖書』の翻訳もこの時代に行われている。
しかしこうした文化的自由の環境の中でヘレニズムの影響を受ける人々が増えていくと、律法を重んじる伝統的な人々との間に対立が広がっていく。これは後にマカバイ家の表舞台登場のきっかけとなった。
マカバイ戦争とハスモン王朝
『マカバイ記一』はユダヤの支配者がプトレマイオス朝からセレウコス朝へと移り(前198)、アンティオコス4世・エピファネスが即位した時代(前175)から始まる。
即位当初から反ユダヤ的政策をとっていたアンティオコス4世はエジプト遠征の帰途エルサレム神殿を破壊し略奪を行い、さらにゼウスを祀る祭壇を立てるなど反ユダヤ政策を推し進める。
これに対し、エルサレム北の小村モデインの祭司マタティアスは決起を呼びかけ、ここから長い反シリア運動、マカバイ戦争(前167-160)が始まる。
マタティアスは五人の息子(ヨハネ、シモン、マカバイ、エレアザル、ヨナタン)と共にアンティオコスに戦いを挑み、前164年にはハスモン朝を興す。アンティオコスの死後も戦いは続き、前142年シモンの代に独立を宣言。その後も王朝は周辺諸国との外交を巧みに使って領土を拡大ししばし安定した時代を送るが、内紛をきっかけにローマの属州入りし(前63年)、その後ヘロデ王の即位(前37年)により終焉を迎えた。このヘロデの時代にイエス・キリストが誕生する。
王朝の正統性を訴える文書
二巻の『マカバイ記』は同じ時代を描いているが、歴史を追って見ていくとそこにユダヤの共同体内部にあった分裂を読み取ることができる。独立戦争から王国成立後も続いた様々な「分裂」は、後のイエスの時代にまで影を落としている。
マカバイ戦争のきっかけは地方祭司マタティアスの呼びかけによるものであり、そこにはユダヤの大祭司に対する反発という側面がある。
プトレマイオス朝支配時代、貿易により資本家として台頭したトビヤ家は、ヘレニズム文化の影響を強く受けたユダヤ人の代表であった。その一方で律法に忠実な大祭司の家系オニアス家が並び立ち、ユダヤの分裂傾向が強まっていた*7。
そしてアンティオコス4世の迫害に対し、エルサレムの大祭司は抵抗らしい抵抗をしなかった。祭司の頂点に立つ者の弱腰な態度が、田舎祭司に過ぎなかったマタティアスを決起させることになったのだ*8。
その後ハスモン家主導によりユダヤは独立を果たすが、そこにはユダヤの伝統に関わる大きな問題があった。もともとユダヤ教の祭司はモーセの兄アロンの系譜に連なる一族が代々担う役職だったが、上記のようにハスモン家は一寒村の祭司に過ぎず、理屈の上では国を率いるに十分な正統性があるとは言えなかった。
故にこの『マカバイ記』、特に一巻はハスモン家の支配を正当化するためのプロパガンダの性格があるという*9。王国成立後早い時期からその正統性への疑義が出され、また大祭司オニアス家を担ぐ一団も現れていた(敗れてエジプトに逃れている)。ハスモン家はこれ以上の民族分断を防ぐためにも公的な歴史を記し、王朝の正統性を訴える必要があったのだ。
分裂し続けるユダヤ共同体
ユダヤの伝統を守るために始まった戦いはその当初より矛盾を抱えていた。そして「王朝を形成するや、ハスモン家の支配者たちは、自らギリシア風の名を名乗り……ヘレニズムとユダヤ教の総合者としての役割を演ずるようになった」*10。本音と建前。生き残るためであれ、理念は呆気なく歪められてしまう。
旧約の時代からユダヤ民族は分裂を日常的に繰り返していた。ユダヤの『聖典』や律法を始めとする様々な決まり事は分裂した彼らを一つにまとめる大きな支えであったが、それを巡っても様々な派閥が生まれ、やがてはキリスト教という形で「分裂」し、新たな聖典が編まれることになる。
旧約聖書と旧約続編を続けて読んで、おぼろげに見えるのはユダヤの中にある「全的」な志向と、同時に存在する「分裂」の傾向だ。たとえそれが外的要因であるにせよ、現代に至るまで繰り返されてきた数々の「分裂」には民族の、そして信奉する宗教が宿命的に持つ性格があるのではないか。
これから新約聖書へと進んでいくが、この点は常に念頭に置いておきたいと思う。